子どもの頃好きだった物語の一つに、『大きな森の小さな家』がある。テレビシリーズでは『大草原の小さな家』として知られるこの物語では、開拓時代のアメリカの家族や、コミュニティの様子が、インガルス家の次女ローラの視点を通して描かれている。
父さんは強く温かい人で、自分の手で家を建てたり農作物を育てたりして家族を支える。母さんは、いつも優しく、家族の服を縫い、料理を作る。子どもたちは、皿洗いや家畜の世話をし、学校では、様々な家や学年の子どもたちと集ってひとつの部屋で勉強をする。開拓者たちの何気ない日常を描いた物語だが、幸せな暮らしのごく近くに、自然の厳しさや貧しさがあり、大工仕事をしていたお父さんが大けがをすることもあれば、収穫間近の小麦が嵐で壊滅状態になることもある。
様々な困難と隣り合わせの開拓者の生活だが、この家族、特に父さんには、クリエイティブ・アーツの精神が根付いていて、それがこの家族や、大きく言えばコミュニティの力につながっているように見える。
天性のクリエイティブ・アーツ・セラピストのような父さんは、コミュニティの人々の個性を尊重しながらも、誰かが困っていたら話に耳を傾け、自らも大工作業や農作業などを通して一から物を創り出す。時に踊りを踊って喜怒哀楽を表現し、家族の前ではバイオリンを奏でて情感にひたる。子どもだった私は、当時高級なイメージを持っていたバイオリンが、貧しい暮らしをしているはずのインガルス家にあるということにまず驚き、武骨そうな父さんが、それを奏でられるというギャップに大層衝撃を受けたものだった。生活は貧しいが、クリエイティブであり続けるということが、彼らに豊かさをもたらしているようにみえる。いや、開拓者の生活それ自体が、クリエイティブでなくてはならないのかもしれない。
何もない不便なところから、創造性を駆使して、何かがあるという感覚を持てるところまでこぎつける。各々の状況において、何が必要で、自分に何ができるのか、どんな助けがあれば良いのか、何によって満たされるのか、その時々の心の声に感覚を研ぎ澄まし、瞬間を大切に生きていく。時にはそれは、必ずしも何かを“する”ことではないかもしれず、その場にそっと佇むことかもしれない。また別の時には、悲しみを抱えながら共に歩み続けることかもしれない。さらに別の時には、人目もはばからずに喜びあうことかもしれない。
人生の様々な時にそこにあるが、そこにあることが別段特別なことではなく、けれども、どこかでその存在の大きさを感じている。そんなクリエイティブ・アーツの治療的な要素に助けられて、私たちは今日もまた創造していく。
アートセラピスト
斎藤佐智子