【コラム】多様性の中に見える自分

私は今、米国カリフォルニア州に暮らしています。サンフランシスコを含むベイエリアと呼ばれるこの辺りは人種の多様さが一つの特徴で、食事のバラエティはもとより、日々いろいろな国の言葉を耳にします。

こちらに来たばかりのころ、プレスクール(日本の幼稚園に該当する)のランチタイムを見学する機会がありました。子どもたちのお弁当には、カレー&ナン、サンドイッチ、マカロニ&チーズなど、私のお弁当のイメージを超えるものが入っていました。おにぎりに卵焼きとウインナーという子はなし。私が当たり前と思っていたものが、いかに自分の家庭文化を反映したものであったのかを実感した瞬間でした。

月に一度実施している、低所得者支援NPOでの親サポートグループには、主にスペイン語を話す母親たちが参加し、ドラマやアートを使ったワークをしています。不安定で忙しい毎日をやりくりする母親たちが自分のための時間を持ち、ストレスフルな毎日を生き抜く心のリソースを獲得することを目的としたグループです。ここでは、集団の特徴をとおして自分について考えるきっかけをもらっています。グループアートで大きな街を作った時には、自由気ままに人の作品に描き加える様子などがあり、垣根が低く、受け入れあうことが当たり前にそこにあると感じました。一方で、「自分」にフォーカスすることを提案してもまず家族の話が出てきたり、感情にふれる振り返りが得意でないことも感じます。

子育てにおいても、自分のなかの「標準」が映し出されると感じることが多々あります。子どもは多様性のかたまりです。自分の枠組みだけでは測れない、ひとりひとりの個性や思いがけない発想、意思があります。自分がなににこだわっているのか、なににとらわれているのかを知るきっかけになっています。

未知のことは人を不安にさせます。違いや経験外のことにとまどい、心が揺さぶられることもあります。ですが、多様性は自分を映し出す鏡であり、己を知るチャンスです。いつもうまくいくわけではないですが、揺れる心を自分のことを知るチャンスととらえなおし、興味をもってつき合っていきたいと日々思っています。

 

ドラマセラピスト 井口雅子